第一章

私にとってのブルーベリー

ブルーベリーと聞いて、中華料理のシェフがひっきりなしに振っている鋼製の丸底鍋を思い浮かべる人はいないだろう。余計なお世話だと知りつつ明言しておくと、それは中華鍋である。まるで似ても似つかない。さて、なにが言いたいかというと、ブルーベリーはそれだけ私たちの生活に根付いている、という一点に尽きる。ひとたび噛めば甘酸っぱい、あの瑞々しい紫色の果実を、人類のほとんどは即座にイメージできるのだ。よく考えてみると、これはなかなか凄い。ひょっとして、私たちの先祖はブルーベリーではないのか、と疑ってしまうほどである。いや、私の場合、先祖とはいえここまで身近に感じることはできない。せいぜい、優しかった祖父や厳しかった祖母くらいまでだろう。祖父や祖母、そして彼らより命を授かった父や母は、私にとって紛れもない肉親である。つまり、ブルーベリーは私にとって家族である、という真理に帰結する。

ブルーベリーはどこ生まれ?

長年、疑問に思っていたことがある。すでに、ブルーベリーが私にとって家族であることは、懸命な読者諸君には充分に伝わったことだと思う。論理的に破綻がないのだから、当然である。しかし、私の頭を悩ませてきた問題はまさにそこにあるのだ。結論を急ごう。それは、ブルーベリーの出生地が、私とあまりに違いすぎるということだ。ブルーベリーは北アメリカ出身である。これはどう考えてもおかしい。なぜなら、私の肉親に渡米経験がある人間がいないからだ。それに、根本的な問題として、私の肉親はみな純血の日本人である。さらに詳しく言うなら、私を含めた肉親全員が、醤油顔の極み、凹凸を限りなく拒絶したのっぺり顔なのだ。それに比べて、北アメリカの雄大な大地で生まれたブルーベリーは、あまりにシュッとしすぎている。格好良すぎる。天はいったい何物を彼に与えるつもりなのだ。爽やかで甘酸っぱくて男前で紫色で美味しくて鷲鼻で…、と、パッと思い浮かべるだけでも6物は与えている。ブルーベリーが私の愛する家族と言え、これではあまりに依怙贔屓がすぎるだろう。

第二章

ブルーベリーの色の秘密